正直、エアマックスDNはテンションが上がる靴じゃない
僕はこの靴を、アウトレットで買った。
この時点で、
もう話の熱量はだいぶ低い。
発売日に並んだわけでもないし、
店員さんにサイズを探してもらってドキドキしたわけでもない。
「なんか良さそうだな」
くらいの気持ちで、
棚に並んでいるのを眺めて、
値札を見て、
「あ、じゃあこれでいいか」
みたいな感じだった。
自分でも思う。
靴を買う態度として、だいぶ雑だなって。
でも、その雑さが、
この靴との距離感を正確に表している気がする。
エアマックスDNは、
箱を開けた瞬間に
「うわっ!」とはならない。
「おお…」ですらない。
本当に、
「あ、靴だな」
それだけ。
昔だったら、
エアマックスって文字を見るだけで
ちょっとテンションが上がってた。
エアが見えてるとか、
名前が強そうとか、
そういう理由で。
でも今回は違った。
派手さもないし、
色も黒だし、
自己主張もしてこない。
棚に戻しても、
たぶん僕は一瞬で見失う。
それくらい存在感が薄い。
それなのに、
なぜか候補から消えなかった。
ここが自分でもよく分からない。
もっと尖ったデザインもあったし、
もっと「今っぽい」靴もあった。
なのに、
なぜかこの靴の前だけ、
足が止まった。
たぶん、ワクワクしなかったからだと思う。
これ、
靴を選ぶ理由として
最低ラインだと思う。
普通は逆。
ワクワクしたから買う。
でもこのときの僕は、
ワクワクしないことに
妙な安心感を覚えてた。
仕事帰りで、
頭も疲れてて、
「これを履いたら人生変わる」
みたいな妄想をする元気がなかった。
ただ、
ちゃんと歩けそう。
それだけ。
それだけなのに、
その「それだけ」が
やけに大きく見えた。
テンションが上がらない靴を選ぶ自分を、
少しだけ笑いながら、
でも否定はできなかった。
たぶんこの時点で、
もう買うことは決まってたんだと思う。
理由はまだ言葉にできない。
ただ、
「これなら失敗しなさそうだな」
という、
地味で弱い感覚だけがあった。
別に感動したわけじゃない。
別に運命でもない。
でも、
棚から持ち上げたときに、
戻す理由が見つからなかった。
この靴との関係は、
最初からそんな感じだった。
エアマックス95が手に入らなかった日のことを、まだ覚えてる
僕は、
いわゆるエアマックス95ブーム直撃世代だ。
学校でも、
街でも、
雑誌でも、
とにかく95の話ばっかりだった。
今みたいに情報が整理されてない時代で、
「レア」「並ばないと買えない」
みたいな言葉だけが、
やたら空気中を飛び回ってた。
その中で、
僕のところにも来た。
希望の話が。
「知り合いのスポーツ用品店の店長がさ、
一足だけとり置いてくれるらしいんだよ」
今思えば、
情報源として弱すぎる。
店長がどういう立場なのかも分からないし、
なぜ僕に回ってくるのかも不明。
なのに当時の僕は、
一切疑わなかった。
信じ切ってた。
希望に満ち溢れてた。
真っ黒で、全部レザー。
かっこいい。
履くなら、これしかない。
想像の中で、95を履いた僕の姿は、
もうイメージ出来てた。
黒で、
重くて、
ちょっと悪そうで、
履いたら世界が変わるやつ。
少なくとも、
部活の空気は変わる。
僕の中では、
もう履いてた。
でも、
当然のように、
その話は流れた。
「やっぱ無理だったわ」
理由も覚えてない。
覚えてるのは、
手に入らなかった、
という事実だけ。
その瞬間、
何かが大きく崩れたわけでもない。
泣いたわけでもない。
ただ、
回収されないまま置いていかれた感情
みたいなものが、
心の奥に残った。
それからずっと。
別に毎日思い出すわけじゃない。
でも、
エアマックス95を見るたびに、
どこかがチクっとする。
ああ、
あれだな、って。
もう欲しいかと言われたら、
正直よく分からない。
今さら履いても、
当時の自分には戻れない。
あの頃の熱量も、
周囲の空気も、
もうない。
でも、
なかったことにもできない。
取れなかったトゲが、
ずっと残ってる感じ。
たぶん僕は、
エアマックス95そのものじゃなくて、
「手に入るはずだった自分」を
まだどこかで引きずってる。
だからこそ、
店で95を見ると、
ちょっと目を逸らす。
向き合うには、
今の生活は静かすぎる。
仕事帰りのアウトレットで、
急に思い出すには、
あの頃の記憶は
少しだけ強すぎた。
だから僕は、
95を選ばなかった。
というより、
選べなかった。
この話を抱えたまま、
あの靴を履く勇気は、
もうなかった。
だから今さらエアマックス95じゃなくてもいいと思った
ここまで引っ張っておいてアレだけど、
正直に言うと、
今の僕はエアマックス95を履きたいわけじゃない。
嫌いになったとか、
どうでもよくなったとか、
そういう話でもない。
ただ、置き場所がない。
あの靴は、
足元に履くものというより、
感情を乗せるための装置みたいな存在だった。
若い頃は、
それでよかった。
むしろ、
それが楽しかった。
靴を履くだけで、
ちょっと気分が上がって、
世界が広がった気がしてた。
でも今は違う。
朝、
玄関で靴を履くときに、
僕が考えてるのは、
今日は雨かどうかとか、
電車が混むかどうかとか、
昼メシどうするかとか、
その程度だ。
そこに
「伝説の一足」を
差し込む余白がない。
というか、
その重さに耐えられない。
もし今、
エアマックス95を買ったとしたら、
たぶん僕は、
毎回ちょっと構えてしまう。
「あの頃のやつだよな」
「今さらだよな」
「これ履いて、どこ行くんだろうな」
そういう思考が、
勝手に始まる。
靴一足で、
勝手に内省が始まる。
それって、
もう日常使いの道具じゃない。
思い出の箱だ。
僕は今、
通勤で履く靴に、
そんな役割を求めてない。
むしろ逆だ。
できるだけ何も思い出させないでほしい。
過去を否定したいわけじゃない。
95を手に入れられなかった自分を、
なかったことにしたいわけでもない。
ただ、
今の生活に、
あの未回収の感情を
毎朝連れて行きたくない。
仕事前に、
昔の自分と向き合うほど、
メンタルに余裕はない。
それだけだ。
だから、
今さら95じゃなくていい、
という結論にした。
すごく前向きでもないし、
潔くもない。
ただの現実的な判断。
その代わりに選んだのが、
最新テクノロジーが入ってます、
みたいな顔をした靴だった。
DN。
名前も淡白だし、
背景も薄い。
語ろうと思えば語れるんだろうけど、
語らなくても何も困らない。
過去を背負わない設計。
僕にはそれが、
妙にありがたかった。
DNを選んだのは、
前向きな挑戦でも、
強い決断でもない。
どちらかというと、
「これ以上、感情を増やしたくない」
という、
かなり消極的な理由だった。
でも、
その消極性が、
今の僕には一番しっくりきた。
エアマックス95は、
今もかっこいいと思う。
たぶん、
これからもずっと。
でも、
かっこいいと思うことと、
毎日履くことは、
もう別物になった。
だから僕は、
95を棚に戻して、
DNを持ち上げた。
ロマンを諦めたわけじゃない。
ただ、
今日を楽にする方を選んだだけだ。
この選び方が正しいかどうかは、
正直、分からない。
でも少なくとも、
朝、靴を履くときに、
変な感情が動かない。
それだけで、
今の僕には十分だった。
履き心地は正直ちょっと硬い。でも嫌じゃない
最初に正直な感想を書くと、
この靴、
柔らかくはない。
履いた瞬間、
「あ、思ってたより硬いな」
と感じた。
もっとフワっとするのを、
どこかで期待してた。
エアマックスって名前がつくと、
どうしても
足が沈み込むイメージが先に来る。
でもDNは違った。
沈まない。
逃げない。
地面がそこにあって、
足がちゃんと触れてる感じ。
一歩目で分かる。
「あ、これは安定するタイプだな」
って。
正直、
その場でテンションが上がる履き心地ではない。
試着室で
「うわ、気持ちいい!」
とはならない。
むしろ、
地味。
良くも悪くも、
リアクションが薄い。
でも、
通勤で履いてみると、
印象が変わった。
駅まで歩く。
改札を抜ける。
人の流れに押されながら
階段を上る。
その一連の動作の中で、
足元がブレない。
着地が安定してる。
変に足裏が動かない。
これが、
地味に効いてくる。
フワフワしないって、
疲れにくいんだな
と、
昼過ぎくらいに気づく。
午前中は分からない。
午後も、
まだ分からない。
夕方になって、
「あれ、今日そんなに足重くないな」
って思う。
この靴の良さは、
そのタイミングで来る。
遅い。
すごく遅い。
感動が、
完全に後出し。
だから、
靴好きには刺さらないと思う。
履いた瞬間の快感がないから。
でも、
毎日履く靴として考えると、
この硬さは悪くない。
むしろ、
信用できる。
地面を
ちゃんと捉えてくれる感覚があるから、
歩き方を気にしなくていい。
「変なところ痛くならないかな」
とか、
そういう不安が出てこない。
これ、
通勤靴としては
かなり大事だと思う。
あと、
意外と助かってるのが、
疲れたとき。
仕事終わりで、
頭がぼーっとしてるときでも、
足元が勝手に安定してくれる。
自分で踏ん張らなくていい。
靴が仕事してる。
僕は何もしなくていい。
この感覚は、
かなり楽。
もちろん、
万能ではない。
柔らかさが好きな人には、
たぶん合わない。
クッションで
気分を上げたい人にも向いてない。
「履いてる感」が欲しい人には、
物足りないと思う。
でも、
通勤で使う分には、
ちょうどいい。
楽。
静か。
主張しない。
そして何より、
「今日は足大丈夫かな」
って考えなくていい。
これが一番大きい。
感動はない。
ドラマもない。
でも、
一日が終わったときに、
足が普通。
それだけで、
この靴は役目を果たしてる。
僕はそう思ってる。
普段履きとして完成してるって、こういうことかもしれない
しばらく履いてみて、
僕が一番強く感じたのは、
「この靴、仕事してるな」という感覚だった。
主張はしない。
前に出てこない。
でも、
ちゃんと役割を果たしてる。
この感じ、
どこかで経験したことがあると思ったら、
会社のデスクの引き出しだった。
ずっとそこにあるけど、
意識したことはほとんどない。
でも、
無くなると困るやつ。
DNは、
完全にそのポジションにいる。
まず、
服に合わせるときに
悩まない。
黒を選んだ、
というのも大きいけど、
それ以上に、
デザインが静か。
スラックスでも、
デニムでも、
休日の適当な格好でも、
「まあ大丈夫か」
で終わる。
この「まあ大丈夫か」が、
毎朝かなり助かる。
以前は、
靴を決めるだけで
妙に時間を使ってた。
これだとカジュアルすぎるかな、とか。
今日は歩くからこっちかな、とか。
別に深刻じゃないけど、
毎日ちょっとずつ、
脳のメモリを削ってくる。
DNを履き始めてから、
それが減った。
朝、
靴棚の前で立ち止まらない。
「今日はこれでいいや」
が、
即決で終わる。
この即決が、
思った以上に気持ちいい。
靴に迷わない朝って、
こんなに静かなんだな
って思った。
しかも、
履いて出かけたあとも、
存在感が薄い。
歩いてても、
「あ、この靴いいな」
って意識することがない。
良い意味で、
忘れる。
これ、
普段履きとしては
かなり完成度が高いと思う。
靴のことを考えなくていい。
足のことも、
服のことも、
そんなに気にしなくていい。
その分、
頭が別のことに使える。
仕事のこととか、
今日やることとか。
靴が思考を邪魔しない。
これって、
すごく地味だけど、
かなり重要だ。
派手な靴は、
履いてるときに
どうしても意識が向く。
良くも悪くも。
DNは違う。
生活の背景に溶ける。
風景の一部になる。
それに気づいたとき、
「ああ、これは普段履きとして
ちゃんと設計されてる靴なんだな」
と思った。
完成度って、
派手さじゃないんだな、と。
尖ってない。
記憶にも残りにくい。
でも、
毎日使う前提で考えると、
これ以上にちょうどいいバランスは
なかなかない気がする。
もちろん、
履いてテンションが上がるわけじゃない。
鏡の前で
ニヤっともしない。
でも、
一日が終わったとき、
何も後悔してない。
それって、
普段履きとしては
かなり優秀だと思う。
生活を支える靴って、
たぶんこういう位置にある。
目立たない。
語らない。
でも、
毎日ちゃんとそこにいる。
DNは、
そういう靴だった。
正直に書くと、物足りなさもちゃんとある
ここまで読んでると、
「じゃあ欠点ないのかよ」
と思われそうだけど、
そんなわけはない。
むしろ、
物足りなさは
かなり分かりやすい。
まず、
テンションが上がらない。
これが一番大きい。
箱を開けたときも、
履いたときも、
鏡の前に立ったときも、
感情が横ばい。
上にも下にも動かない。
心拍数が一切変わらない靴。
これ、
靴にワクワクを求めてる人には
致命的だと思う。
僕自身、
昔はそうだった。
新しい靴を履いた日は、
無駄に遠回りして帰ったり、
ガラスに映る自分を確認したり。
DNには、
そういう行動を誘発する力がない。
履いても、
そのまま駅に向かうだけ。
寄り道もしない。
あと、
語るポイントが少ない。
「あ、それ何?」
って聞かれても、
返答に困る。
最新テクノロジー?
エア構造?
正直、
説明する気が起きない。
語るほどの熱量が
最初から用意されてない。
これは、
スニーカーが好きな人にとっては
かなり退屈だと思う。
「このモデルはさ」
って話が始まらない。
自分の中でも始まらない。
完全に、
道具寄り。
さらに言うと、
履き心地も
万人向けじゃない。
前に書いたけど、
柔らかくはない。
フワフワした感触を期待すると、
確実に肩透かしを食らう。
「エアマックス=柔らかい」
という記憶が強い人ほど、
違和感が出ると思う。
僕も最初は
ちょっと戸惑った。
「これ、本当にエアマックス?」
って。
それくらい、
主張が控えめ。
デザインも同じ。
派手さはない。
SNSで映えるかと言われると、
たぶん映えない。
写真に撮ると、
だいたい想像どおり。
良くも悪くも、
驚きがない。
だから、
「靴で気分を上げたい日」
には、
自然と選ばなくなる。
休みの日に、
ちょっと外に出るだけのときとか、
テンションを足したい日には、
別の靴を履く。
DNは、
そういう役割じゃない。
盛り上げ役じゃなくて、
裏方。
この立ち位置が、
合わない人には
とことん合わないと思う。
たぶん、
買ってすぐ手放す。
「なんか違ったな」
って。
それは、
全然普通の反応だと思う。
僕自身、
これが初めての一足だったら、
同じことを思ったかもしれない。
でも、
通勤で毎日履く、
という前提に立つと、
この物足りなさが
逆に意味を持ってくる。
テンションを上げない。
語らせない。
感情を動かさない。
だからこそ、
毎日に溶け込む。
欠点は、
視点を変えると
特徴になる。
もちろん、
それを無理に良いと言うつもりはない。
合わない人には、
本当に合わない。
ただ、
僕の今の生活には、
この物足りなさが
ちょうどよかった。
満たされない。
でも、
困らない。
この距離感が、
今の自分には
一番楽だった。
それでも毎日履いてしまう理由を考えてみた
ここまで書いておいてなんだけど、
気づいたら、
2日に一回はこれ履いてる。
朝、
靴棚の前に立つ。
一瞬、
他の靴も目に入る。
でも、
手が伸びるのはDN。
別に好きとか、
愛着があるとかじゃない。
なのに、
選んでしまう。
この現象、
自分でもちょっと不思議だった。
理由を考えてみると、
たぶん一番大きいのは、
「失敗しない」
という安心感だと思う。
今日は歩くかもしれない。
雨が降るかもしれない。
仕事が長引くかもしれない。
そういう不確定要素に対して、
DNは全部
「まあ大丈夫だろ」
で受け止めてくれる。
この雑な信頼感が、
朝にはちょうどいい。
他の靴だと、
ちょっと考える。
今日はこっちだと疲れるかな、とか。
この服に合うかな、とか。
DNは、
そういう思考を挟ませない。
履く → 出る。
それだけ。
このシンプルさが、
気づかないうちに
習慣になってた。
あと、
足のことを
ほとんど考えなくなった。
以前は、
夕方になると
「ちょっと足だるいな」
って思う日が多かった。
DNにしてから、
それが減った。
ゼロじゃない。
でも、
確実に減った。
この「確実に減った」
というレベル感が、
妙に信用できる。
劇的じゃないから、
嘘っぽくない。
毎日履いても、
嫌な気持ちにならない。
これも大きい。
新しい靴って、
最初は良くても、
だんだん違和感が出てきたりする。
DNは、
最初から最後まで
印象が変わらない。
良くも悪くも。
その安定感が、
毎日使う前提だと
かなり強い。
それに、
感情を消費しない。
履いても、
気分が上下しない。
今日はこれ履いて気合入れる、
みたいなことを
しなくていい。
靴に期待しなくていい。
これ、
意外と楽だ。
一日を始めるときに、
余計な期待がない。
その分、
疲れない。
結果として、
また次の日も履く。
理由は単純。
楽だから。
選ばなくていいから。
失敗しないから。
それだけなのに、
気づいたら
「これが基準」
になってた。
DNは、
気づかないうちに
生活の標準値を
少しだけ上げてきた。
大げさじゃない。
でも、
確実に。
だから僕は、
今日もまた
この靴を履いて出てる。
合わない人の条件も、わりとハッキリしてる
ここまで読むと、
「じゃあ誰にでも合う靴なのか」
みたいに見えるかもしれない。
でも、
それは違う。
むしろ、
合わない人の方が分かりやすい
タイプの靴だと思ってる。
まず、
靴で気分を上げたい人。
新しい靴を履く日は、
それだけで一日がちょっと特別になる、
みたいな感覚が好きな人。
そういう人には、
たぶん退屈すぎる。
DNは、
気分を上げに来ない。
黙って足元を支えて、
何も言わずに一日を終わらせる。
それを
「物足りない」と感じるなら、
無理に選ぶ必要はない。
次に、
トレンドを追いたい人。
今これが来てるとか、
今年はこれだとか。
そういう空気を
ちゃんと楽しめる人。
DNは、
そういう会話の輪に
ほとんど参加しない。
履いてても、
誰にも何も言われない。
良くも悪くも、
話題が生まれない。
あと、
スニーカーそのものが好きな人。
ディテールを見て、
構造を調べて、
語るのが楽しい人。
そういう人にとっては、
DNはちょっと素っ気ないと思う。
履き心地も、
分かりやすい快感がない。
「おおっ!」
がない。
じわじわ来るタイプだから、
短距離走みたいな評価には向いてない。
それから、
柔らかさ最優先の人。
足が沈み込む感じが好きで、
クッションに包まれたい人。
DNの硬さは、
たぶん好みじゃない。
安定感よりも、
反発や柔らかさを求めるなら、
別の選択肢の方が幸せだと思う。
逆に言うと、
よく歩く人。
通勤で履く人。
靴に感情を預けすぎたくない人。
朝の判断を減らしたい人。
そういう人には、
静かに合う可能性はある。
派手な相性じゃない。
でも、生活には合う。
ただ、
それを「良い」と思うかどうかは、
本当に人それぞれだ。
僕はたまたま、
今の生活が
こっち側だっただけ。
だから、
合わないと思ったら、
それは全然普通。
無理に寄せる靴じゃない。
DNは、
選ばれるときも静かだし、
選ばれなくても騒がない。
その距離感が、
この靴の性格だと思ってる。
これじゃなくてもいいと思うよ
ここまで長々と書いてきたけど、
最後にこれだけは
ちゃんと置いておきたい。
別に、無理して選ばなくてもいい。
僕はエアマックスDNを選んだ。
それは事実。
でも、
それが正解だったとか、
賢い選択だったとか、
そういう話をしたいわけじゃない。
ただ、
今の僕の生活に
たまたま合ってただけ。
それ以上でも、
それ以下でもない。
エアマックス95のトゲが
完全に抜けたわけでもない。
たまに思い出すし、
今見ても
やっぱりかっこいいとは思う。
でも、
だからといって
履きたいかと言われると、
話は別。
今の僕は、
靴に気持ちを乗せすぎたくない。
通勤で履いて、
一日を終えて、
足が普通。
それで十分。
DNは、
その「普通」を
静かに守ってくれる。
テンションは上がらない。
語ることもない。
写真を撮りたくもならない。
でも、
生活が荒れない。
この一点だけで、
僕は選んだ。
アウトレットで買った、
というのも
たぶん大きい。
期待値が低かった分、
裏切られなかった。
定価で
大きな期待を背負わせてたら、
評価は違ったかもしれない。
そういう意味でも、
この靴との距離感は
最初から最後まで
ちょうどよかった。
もし今、
靴選びで迷ってるなら、
調べるくらいでいい。
試着して、
「うーん」って思ったら、
戻していい。
無理に納得しなくていい。
履かなくても、
人生は何も変わらない。
ただ、
よく歩く日が多くて、
朝の判断を減らしたくて、
靴に振り回されたくないなら、
選択肢の端っこに
置いておくのはアリかもしれない。
端っこでいい。
主役じゃなくていい。
僕にとって、
エアマックスDNは
そういう存在だった。
これからも
たぶん淡々と履く。
壊れたら、
また考える。
そのときは、
別の靴かもしれない。
それでいい。
靴は、
生活を支えてくれれば
それで十分だと思ってる。



コメントを残す