最初に
正直に言うと、僕は昔から「コメがうまいかどうか」にそこそこ執着してるタイプです。
でも、それを口に出すのは、なんとなく恥ずかしかったです。
「味にうるさい男」
「白米で語り出す人」
この辺の属性に入るのが、どうにも居心地が悪かった。
だから今まで、こういうことは言わないようにしてました。
「家のご飯?まあ普通だよ」
この“まあ普通”って言葉、自分を守るのにちょうどいいんですよね。
うまくもないし、まずくもない。こだわってない自分、みたいな顔ができる。
でも本当は、ちょっと違いました。
外で食べる定食の白米。
実家で出てくる、何気ないご飯。
ああいうのを食べるたびに、心の中で小さく思ってたんです。
「……なんか、違うな」
声に出すほどじゃないけど、なかったことにするには、ちょっとだけ引っかかる。
どうしてもうまいコメが食べたかった。
理由はそれだけです。大義名分も、生活改善も、人生が変わる話もありません。
ただ、家で食べる白米を、「これでいい」と思いたかった。
家のコメが一番うまい、とは思っていなかった
まずは認めます。
僕は一度も、「家のコメが一番うまい」と思ったことがありません。
まずいわけじゃないんです。
炊きたてなら、ちゃんと食べられる。
おかずがあれば、問題なく完走できる。
でも、
「うまいなあ」
って感想が、最後まで出てこない。
これ、地味にストレスでした。
誰かに文句を言うほどじゃない。
でも毎日続くと、ちょっとずつ積もる。
白米って、食卓の中心にいるくせに、評価されない存在じゃないですか。
主役ではない。
でも毎日いる。
その毎日いるやつが、「まあこんなもん」で終わる感じ。
この“まあこんなもん”が、僕には地味に耐えづらかったんだと思います。
外食で白米がうまいと、テンションが上がる。
実家で食べると、ちょっと負けた気になる。
でもそれを言語化すると、自分が面倒な人間みたいで、黙る。
「水が違うのかな」
「米の銘柄かな」
そんなことを考えつつ、何も変えない。
……今思うと、一番ダサい状態です。
不満はある。
行動はしない。
でも諦めてもいない。
この状態のまま、何年も白米を食べてました。
たぶん僕は、
「うまいコメを食べたい」
という欲を、ずっと、小さく折りたたんで見えないところにしまってただけなんだと思います。
白米の差に気づくたび、ちょっとだけ黙ってしまう
外でご飯を食べたとき。
特別な店じゃなくても、定食屋とか、会社近くのランチとか。
そこで出てくる白米が、妙にちゃんとしてる日があります。
ツヤがあって、粒が揃ってて、口に入れた瞬間に
「あ、白米だ」って分かるやつ。
そのとき僕は、だいたい黙ります。
「この店、米うまいですね」
とは言いません。
言えない、が正しいかもしれません。
それを言った瞬間、自分の家の白米を否定することになる気がして。
意味分からないですよね。
誰も僕の家の米なんて気にしてないのに。
でも、なぜかそう感じてました。
実家でも同じです。
久しぶりに帰って、何気なく出てくるご飯。
特別な銘柄でもなさそうなのに、なぜか普通にうまい。
母親に「この米なに?」って聞くのも、ちょっと負けた感じがして、聞かない。
白米の差に気づいてるのに、気づいてないフリをする。
これ、自分でもめんどくさい性格だな、と思ってました。
でも、こういう小さいモヤモヤって、無視できるほど小さくはない。
毎日じゃないけど、たまに刺さる。
そのたびに、「家の米はまあ普通」という言葉で、自分をなだめてました。
コメを変えるより、炊飯器を変えた方が早いと思った
じゃあ、なぜ米じゃなくて、炊飯器だったのか。
ここ、我ながら雑です。
米の銘柄。
水の種類。
研ぎ方。
浸水時間。
調べれば調べるほど、やることが増える。
……無理です。
仕事終わりに、そんな丁寧な暮らし、できません。
というか、したくなかった。
僕が欲しかったのは、「努力の結果うまくなる白米」じゃなくて、
「何も考えなくても、まあまあうまい白米」
でした。
だったら、人間が頑張るより、機械に任せた方が早い。
この発想、かなり怠惰だと思います。
でも同時に、すごく正直でもありました。
炊飯器なら、ボタンを押すだけ。
失敗しても、自分のせいじゃない。
「今日は研ぎ方が悪かった」とか考えなくていい。
責任を全部、目の前にある機械に押し付けたかった
んだと思います。
それに、炊飯器って不思議で。
一度「良いやつ」を買えば、しばらく考えなくて済む。
毎日使うものなのに、選ぶのは一回でいい。
この「考えなくてよくなる感じ」が、僕にはかなり魅力的でした。
だから僕は、コメを変える前に、炊飯器を疑うことにしました。
いや、疑うというより、「これなら解決するはずだ」と、かなり本気で信じた
と言った方が近いです。
うまいコメが炊けると信じて、各炊飯器のレビューを読みまくりました
ここは、最初から疑ってなかったです。
炊飯器で、コメの味は変わる。
そこはもう、前提でした。
だからレビューを読む目的も、
「本当に変わるのか?」
じゃなくて、
「どれを選べば、一番ちゃんとうまくなるか」
の確認作業。
完全に、信者の行動です。
レビューは、驚くほど多かったです。
星の数。
長文の感想。
謎に熱量の高い人たち。
「炊き上がりのツヤ」
「立ち上る香り」
「一粒一粒がどうこう」
正直、途中から何を言ってるのかよく分からなくなりました。
でも不思議と、読むのはやめなかった。
うまいコメが食べたい、という欲が、全部を正当化してくれる
感じがあったからです。
値段も見ました。
見て、
一回そっと閉じました。
炊飯器にこの金額、冷静に考えるとまあまあ正気じゃない。
でも、またページを開く。
「毎日食べるものだし」
この言葉、何度も頭の中で再生されました。
今思うと、かなり雑な理屈です。
でも当時の僕は、そこに妙な説得力を感じてました。
炊飯器で味は変わる。
変わるなら、ちゃんと変わってほしい。
そう思って、わりと大枚をはたきました。
迷いはありました。
でも
「これでダメなら諦めがつく」
という気持ちも、正直ありました。
そう思って、僕はこの炊飯器を選びました。
象印 炎舞炊き NW-LA10-BZ
(今はもう後継機になってます)
炊き上がりを見て、「勝った」とは思わなかった
届いた炊飯器。
黒くて、ずっしりしてて、やたら存在感がありました。
正直、この時点でちょっと期待してます。
人間、高いものを買うと、勝手に期待値が上がる。
初めて炊いたとき。
フタを開けて、湯気が立つ。
ツヤもある。
香りも、
確かにいつもと違う。
でも。
「うおおお!」
みたいな感動は、一切なかった
です。
勝った、とも思わなかった。
ガッツポーズも、当然ない。
代わりに出てきたのは、すごく地味な感想。
「あ、ちゃんとしてるな」
これだけ。
でもこの「ちゃんとしてる」が、思ったより重かった。
変に主張しない。
でも、欠点も見当たらない。
米が立ってるとか、
甘みがどうとか。
そういう言葉を使うほどの語彙も、気分もなくて。
ただ、違和感がなかった。
あれ?今日の米、なんか普通にうまいな
その一言で、終わりました。
毎回ちゃんと同じ顔の白米が出てくる
ここからです。
この炊飯器の良さが、じわじわ効いてきたのは。
一回目より、二回目。
二回目より、三回目。
毎回、同じ顔の白米が出てくる。
これ、地味なんですけど、かなり大きい。
以前は、ありました。
「今日はちょっと柔らかいな」とか、
「なんかベチャっとしてるな」とか。
理由は分からない。
水の量かもしれないし、
研ぎ方かもしれないし、
気分かもしれない。
でもこの炊飯器にしてから、そういう日が減りました。
というか、ほぼなくなった。
“今日はハズレ”という思考が、そもそも出てこない。
これ、白米に対する向き合い方が変わります。
評価しなくなる。
コメを楽しむ余裕ができる。
「まあ、うまい」で終わる。
これが続くと、不思議なことが起きます。
「外食のコメと比べよう」
とか、
「炊き方を工夫しよう」
とか、そういう欲が、静かに消えていく。
うまいコメを追いかけなくなる。
もうあるから。
毎日、そこそこ満たされるようになる。
操作と手入れが楽だと、味の評価がブレない
これは完全に、後から気づいた話です。
操作。
拍子抜けするくらい、シンプルです。
ボタンを押して、待つだけ。
説明書?ほぼ読んでません。
この「考えなくていい感じ」、かなり助かります。
以前の炊飯器は、地味に迷いました。
モードが多い。設定が細かい。
それだけで、気持ちがちょっと削られる。
すると不思議なもので、炊き上がった米にも、厳しくなる。
「この手間で、これ?」
みたいな。
家電って、手間が多いと、味まで疑ってくるんですよね。
手入れも同じです。
内ぶた。パーツ。
洗うところが少ない。
迷わない。
これだけで、炊飯器の存在感が薄くなります。
すると、白米そのものに集中できる。
味がどうこうというより、生活の中で邪魔をしない。
この「邪魔をしない」という性能、かなり重要だと思いました。
正直、うまいコメに興味がない人には高すぎる
ここは、ちゃんと書いておきたいです。
この炊飯器、誰にでも合うとは思ってません。
白米に、特に思い入れがない人。
パンや麺が主食の人。
外食が多くて、家でご飯を炊く回数が少ない人。
そういう人にとっては、たぶん、オーバースペックです。
というか、普通に高い。
炊飯器にこの金額を出すのは、冷静に考えるとなかなか勇気がいります。
「そこまで米に求めてない」
そう言われたら、何も反論できません。
僕自身、数年前の自分にこれを勧められたら、
たぶん、ちょっと距離を取ります。
それくらい、好みが分かれる。
ただ逆に言うと、
・家で食べる白米にずっと小さな不満がある
・外で食べる米がちょっとうらやましい
・でも手間は増やしたくない
このどれかに心当たりがある人には、ちゃんと刺さる気はします。
万人向けじゃない。
だからこそ、値段に納得できるかどうかが、一番の分かれ目だと思います。
「うまいコメが食べたい」という欲が、静かに終わった
結局のところ。
この炊飯器を使って、人生が変わったかというと、そんなことはありません。
毎日、感動するわけでもない。
誰かに語りたくなるほどのドラマもない。
ただ、家で食べる白米に対して、
「ああ、またこれか」
と思わなくなりました。
「まあ、うまい」
この感想で、毎日が終わる。
これ、思ってた以上に楽です。
外食と比べなくていい。
炊き方を悩まなくていい。
今日の出来を評価しなくていい。
「うまいコメが食べたい」
という欲が、静かに満たされて、考えなくなった。
たぶん僕は、それが欲しかったんだと思います。
白米でテンションを上げたいわけでも、語りたいわけでもなかった。
ただ、毎日のご飯に引っかかりが欲しくなかった。
そういう意味では、この炊飯器はちゃんと役目を果たしてくれました。
……とはいえ。
別に、無理して買わなくてもいいです。
今のご飯に不満がないなら、それが一番。
ただもし、昔の僕みたいに、
「家の米、別にまずくはないんだけどな」
と、たまに思ってしまうなら。
調べるくらいは、してみてもいいかもしれません。 僕は、そうしました。



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