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「歩く」という行為を、俺は約40年、独学でやってきた。
考えてみればおかしな話だ。走り方は体育の授業で習った。泳ぎ方はスイミングスクールで習った。自転車は父親が荷台を支えてくれた。なのに歩き方と、歩くための道具選びだけは、1歳かそこらで見よう見まねで習得して以来、完全に我流のまま今日に至っている。そして我流の人間に限って、道具を軽視する。「歩くだけなら靴なんて何でもいいだろ」と。俺も長年そう思って生きてきた。
その慢心に請求書が届いたのは、健康診断の結果を眺めた日である。数値の並びを見た医者は言った。「まずは歩きましょう」。運動不足の現代人に発行される処方箋の、おそらく定番第1位だ。よし歩くぞ、と一念発起した俺は、手持ちの適当なスニーカーで小一時間歩いた。翌朝、足の裏と膝が同時に抗議してきた。おい、待ってくれ。歩くのって、こんなに疲れる行為だったか? ジョギングならまだ分かる。俺はただ、歩いただけなのに。
そこで調べて行き着いたのが、アディダスの「アディゼロ アルク」だった。ARUKU。歩く。世界的スポーツブランドが、ひらがな発想の名前で大真面目に作った歩行用シューズである。結論から言うと、これは「歩く」という地味な行為の認識を変えてくる一足だった。ただし最初の数歩、あなたは確実に戸惑う。今日はその戸惑いの正体から、順番に書いていく。
アディゼロ アルクとはどんなウォーキングシューズか
まず整理しよう。「アディゼロ」というのは本来、アディダスのシューズ群の中でも「速く走る」ための系譜に与えられる名前だ。マラソン中継でトップ選手の足元に光っているアレの一族である。その走りのための技術を、あろうことか「歩く」に転用したのがこのアディゼロ アルク。つまり出自が健康グッズの延長ではなく、競技の世界からの降臨なのだ。ここがまず面白い。速く走るための知見は、突き詰めれば「いかに脚への負担を減らして前に進むか」の研究であり、それは歩行にもそのまま効く話だからである。
見た目の最大の特徴は、ソールの分厚さだ。いわゆる厚底で、横から見ると「ちょっと盛りすぎでは?」と心配になるくらいのボリュームがある。だがこの厚みは流行のファッションではなく機能の結果で、着地の衝撃を受け止めて、体重を前へ転がして送り出すための機構である。それでいて全体のデザインは普通のスニーカーとして通用する顔をしていて、ウォーキング専用靴にありがちな「いかにも健康器具」という雰囲気がない。つまり、散歩専用機ではなく通勤や買い物にもそのまま履いていける。ここは日常で使う道具として地味に重要なポイントだ。
重さやソール素材の細かい仕様、現在の価格やカラー展開は変動があるので、正確なところはリンク先で確認してほしい。ここでは「走る技術で歩きを支援する厚底シューズ」と理解してもらえれば十分である。
実際に歩いて分かった本音レビュー(履き心地・疲れにくさ・最初の違和感)
光から行こう。履き込んでいる俺の率直な感想はこうだ。
長時間歩いても疲れにくく、履き心地は非常に良い。軽さと安定感が両立していて、歩行用として理想的な靴だと思う。
「疲れにくい」こそ、この靴の主戦場だ。手持ちのスニーカーで小一時間歩いて膝に抗議された俺の足が、この靴だと同じコースを歩いても妙に平気なのである。厚底のクッションが着地のたびに衝撃を受け止めて、しかもフワフワのまま終わらず、体重がすっと前へ転がっていく感覚がある。「歩かされている」に近い。気づくと予定より一駅ぶん先まで歩いていて、運動不足の解消に出たはずの散歩が、ちょっとした遠足になっている。歩数計のグラフが右肩上がりになったのは、意識が高まったからではない。歩くのが嫌じゃなくなったからだ。次の健康診断で、俺は初めて胸を張って「歩いてます」と申告できた。
そして軽さ。厚底の見た目から想像するよりずっと軽く、足を持ち上げるたびに支払う税金が安い。1歩あたりでは誤差のような差でも、散歩は1回で数千歩、月なら数万歩の反復である。この地味な減税が、終盤の足の余力にそのまま効いてくる。
ついでに「安定感」の話もしておきたい。柔らかいのに安定している、というのは一見矛盾して聞こえるはずで、実際、初日の俺は疑っていた。だが分厚いソールは接地面がしっかりしていて、歩行中の足をどっしり受け止めてくれる。フワフワなのは踏み込んだ瞬間の感触であって、歩く姿勢そのものはブレないのだ。この二律背反の同居こそが、この靴の一番の発明だと俺は思っている。
さて、闇の話をしよう。正直に書く。
闇その1、最初は柔らかすぎてバランスを取りにくい。 ソールが分厚く柔らかいため、履いて立ち上がった直後の数歩は「え、柔らかすぎないか?」と不安になる。地面との間に厚いマシュマロを挟んで立っているような、微妙な頼りなさ。俺も最初の一歩で「フワッ」と小さく声が出た。かかとで立つとわずかに揺れる感じもあって、第一印象は正直「大丈夫かこれ」だった。ただし断言できるのは、これは静止時と歩き出しだけの現象だということ。歩き始めてリズムに乗れば、全く問題ない。 むしろあの柔らかさが推進力に化けていく。数日も履けば足の側が学習して、初日の頼りなさは思い出せなくなる。試し履きの最初の3歩で判定を下すと、この靴の本体を見ないまま棚に戻すことになるので、そこだけは気をつけてほしい。
闇その2、地面を感じたい人には合わない。 薄くて硬いソールで路面の情報をダイレクトに受け取りたい、足裏の感覚こそ大事にしたい、という考え方の人にとって、この靴の乗り心地は「地面が遠い」と感じられるはずだ。これは性能の優劣ではなく思想の違いなので、どちらが正しいという話ではない。ただ、自分がどちら側の人間かを買う前に把握しておかないと、レビュー欄で思想戦争を始めることになる。
総評すると、最初の柔らかさに戸惑っても、歩き出せば全く問題なし。軽さと安定感の両立は本物で、歩行用として理想的。第一印象と使用感のギャップが、いい方向に裏切ってくる靴だ。
ウォーキングシューズの選び方:普段のスニーカー・ランシューズ流用と比較
ここで、「歩くぞ」と決意した人間の前に並ぶ選択肢を、感情抜きで整理する。実質3つだ。
(1)手持ちの普段スニーカーで歩く派。 追加投資ゼロ。近所の散歩程度なら何の問題もない。ただしファッション寄りのスニーカーは、クッションも屈曲の位置も長時間歩行用には設計されていないことが多く、時間と距離が伸びるほど足腰への負債が静かに積み上がる。俺の膝が証人として法廷に立つ用意がある。
(2)ランニングシューズ流用派。 クッション性能は高く、実はかなり合理的な選択だ。ただし走る動作と歩く動作では、着地の位置も重心の移動も微妙に違う。すでに走る趣味がある人がついでに歩きにも使うなら十分あり。だが「走る予定は一生ない、歩き専門でいく」と決めている人なら、歩行の重心移動に合わせて作られた専用設計に分がある。
(3)ウォーキングシューズ専用機派。 アディゼロ アルクはここ。歩くほどに真価が出る設計で、長時間・長距離になるほど普段靴との差が開いていく。弱点は、当然ながら追加の出費になることと、例の初動フワフワに数日の慣れが要ること。なお「ウォーキング専用」と聞くと大げさに感じるかもしれないが、立ち仕事の日、外回りの日、旅行の街歩きにもそのまま効く。歩く行為が含まれる日常は、すべてこの靴の守備範囲だ。
選び方の軸はシンプルで、「週に何回、1回に何分歩くつもりか」で決まる。月に数回の散歩なら手持ちの靴で十分だ。だが仮に毎日30分歩くと決めた人なら、年間の歩行時間は180時間を超える計算になる。1日の使用時間が長い道具ほど投資対効果が高いという原則は、マットレスと椅子と靴において最も強く成立する。靴は、人生で最も使用時間の長い道具の一つなのだ。
相性が悪い3か条も置いておく。一、硬い接地感が好きな人(思想が違うので、無理に改宗しなくていい)。二、歩くのは駅までの5分だけという人(性能を発揮する距離に到達しない)。三、試し履きの第一歩だけで全てを判断するせっかちな人(この靴の採点は、歩き出してから始まる)。
結論:「歩く気は靴が作るの法則」
最後にまとめよう。俺はこの靴で「歩く気は靴が作るの法則」を発見した。
運動の習慣化に必要なのは強い意志だと、俺たちは長年思い込まされてきた。違った。必要なのは「今日も歩きたくなる足元」だった。疲れない靴は、歩いた翌日の後悔を消す。後悔が消えると、翌日もまた歩ける。この地味なループこそが、医者の言う「まずは歩きましょう」を現実に変える唯一の仕組みである。意志力を鍛えるより、道具に投資するほうが早くて確実だ。だいたい、意志力でどうにかなるなら、俺の部屋の腹筋ローラーは今ごろこんなに新品の輝きを保っていない。
散歩は金がかからないのが取り柄なのに、靴に投資しろとは矛盾しているじゃないか——そう思った人へ。始まらない無料より、始まる有料のほうが、健康診断の数字にはずっと誠実だ。価格・サイズ・カラーは変動があるので、リンク先で現在の条件とサイズ感のレビューを確認してから決めてほしい。40年間、独学と我流でやってきた「歩く」という行為に、初めての教科書を一冊与えてみる。散歩の景色は、そこから変わる。


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